籐が日本にやってきたのは550年以上前と言われており、当初の用途は専らその強度を活かした荷造りや道具等に巻きつけての補強用途が多かった様です。 長じて弓や尺八といった一部装飾を兼ねたモノにも使われる様になり、本格的なインテリア製品として普及したのは明治時代以降です。特に加工するのにきれい な水を大量に必要とすることから、河川・湖が豊富であるここ滋賀県で発達し、近畿圏の消費地に受け入られ、戦前は特に夏暑い盆地である京都での籐敷物の人 気が高かった様です。 弊社もそうした背景のもと、大正13年に創業したわけですが、昭和12年に戦争による原料輸入中止の為一時休業。昭和28年の輸入開始でようやく営業を再開します。 その後、籐の需要は順調に推移しますが、昭和30~40年後半にかけて日本の人件費が高騰したため、製造地が日本から台湾に移り、敷物や家具の製造技術も移行することになります。 弊社も諸輪は37年より台湾へ赴いての技術指導に努めました。 以降、弊社は敷物の防炎加工認定工場資格を取得したり、直接の貿易業務を開始する等の快挙に恵まれましたが、1988年10月、原材料であるインドネシア政府の突然の材料輸出規制により、籐材料の輸入ができなくなりました。 これには随分当感しました。 しかしインドネシア国内で製造した製品については輸入可能なので、我々は急遽、今度は台湾からインドネシアへと製造地を移すべく、再び技術指導に努め、現 在の事態に至っています。すなわち弊社の製品は、設計は福島工業で行い、インドネシアで、という過程になっており、特に家具などはこちらで図面を書き、イ ンドネシアで製造そして輸入といった手筈になります。 しかし弊社製品全てというわけではなく、敷物などはインドネシアで掲載の『スーパーラタンタイル』などは弊社独自の技術によるものです。 |